東日本大震災から低迷していた足立区に地域活性化の起爆剤として開発されたのが「あだち菜うどん」、「あだち菜パスタ」です。東京商工会議所足立支部の方たちが立ち上がり「足立新ご当地グルメ創造プロジェクト」が発足され、足立区で最も生産量が多い小松菜に注目をし、他地域よりも鉄分が豊富な高品質の小松菜を「あだち菜」と命名しました。
多くの試作品を作りましたが、ただ単に麺に色を付けるだけでなく、小松菜の風味や栄養素などを損なわない商品を作りたいという思いがありましたが、専門家からは絶対に無理だと言われていましたが諦めずに挑戦し続けた結果「あだち菜うどん」「あだち菜パスタ」を完成しました。完成後は学校給食や老人介護施設、病院からも受注があり、栄養価が高く評価されています。また、足立区生まれの大スターである、ビートたけし氏があだち菜うどん会の名誉会長です。
地元の名産品から大スターまで多くの人達を巻き込みながら新しい価値を創造した「あだち菜うどん」「あだち菜パスタ」は新たな質的価値を生み出しました。

『質的価値のポイント』
①足立区の特有の生産物に目をつけ加工により新たな質的価値を生み出した点
②加工に社会福祉法人を利用し、地域の雇用を創出した点
③生み出した商品を起点に地域経済を循環させる働きとなった点
④地元の大スタービートたけし氏を巻き込んだ点

東京都・足立区 NPO 特定非営利活動法人 あだち菜うどん学会 理事長 榎本 憶人氏

【背景・課題】東日本大震災から低迷している足立区を盛り上げたい

東日本大震災によって足立区は計画停電や震災の影響で経済的に低迷しており、震災から1年経ったあとも足立区の経済状況が回復する様子は見られませんでした。東京商工会議所足立支部長から「地元の活性のきっかけに繋がる名物を開発しよう」との声掛けにより、同区で活躍する大学の教授、デザイナー、金融機関、新聞社、飲食経営者など多方面のメンバーが集結し「足立新ご当地グルメ創造プロジェクト」が発足されました。

足立区は、江戸時代に世界最大規模の宿場町でした。それ以前から生鮮野菜の栽培が盛んで、やっちゃ場と呼ばれる青物市場が盛んでした。その中でも小松菜は、足立区内生産量第1位で、足立区は全国屈指の生産地の一つであります。足立区で生産され、他地域よりも鉄分が30%程度豊富な高品質の小松菜を「あだち菜」と命名しました。足立区島根の安穏寺では、焼き豆腐とあだち菜(当時は青菜と呼ばれていました)の吸椀を3代目将軍の徳川家光公へ献上し大層お気に召され、小松菜の命名に繋がったという説があります。

【手法】小松菜と製麺所をマッチング

当時B級グルメが流行っていたので、足立区でもそういったものが作れないかと考えました。ハンバーガーや冷麺などを考えましたがなかなか根付かず、改めて考え直したところ、小松菜と製麺所に注目しました。小松菜は前述したとおり足立区を代表する生製品であり、製麺所は足立区内に40社以上もあります。これは他の都内の地区と比べても圧倒的に多い件数です。ただ一般的な小松菜を使った料理では街の名物にはなりません。B級グルメとして注目度を高めるためには「炭水化物」の方がウケがよいのではないかと考え、小松菜をうどんに練り込んでやってみようとなったのが始まりです。

【プロセス】無理だと言われても挑戦し続け、地元の大スターも協力

最初は失敗の連続でした。生の状態で練り込むがなかなか思うようにはうまくいかず、小松菜を乾燥パウダーにしたり、加熱したり、塩漬けにしたり等、たくさんの試みを行い、多くの失敗を繰り返しました。試行錯誤の末、生の小松菜を練り込んでも、香りや味わい、そして彩りも活かした麺の製造技法を発見しました。生麺に関しては通常1%~3%が一般的と言われているところを35%も原材料の小松菜を練り込んでいます。製麺所の専門家の方々から見てもその比率は無理だと言われ続けてきましたが、先に述べた通り不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、実現することができました。その麺を美味しいうどんとして味わえられるスープや食べ方も開発しました。
足立区内にある「社会福祉法人あだちの里」にてあだち菜を麺に練りこむ“素材”にするためにパウダー加工をしています。足立区の農園で収穫された新鮮なあだち菜の彩りと香り、味わいを大切にししながら、あだち菜自体のフレッシュさを守る目的で何度も試作を繰り返し完成したのが、「あだち菜うどん」「あだち菜パスタ」に不可欠な「あだち菜パウダー」です。
また、足立区生まれの大スターであるビートたけし氏にこちらから一方的に試作品と足立区の名産品の名誉顧問になってもらいたい趣旨の手紙を送っていました。出来上がった製品や関することを年に2,3回、6年間続けてきましたが、一回だけマネージャーの方から「よかったら協力させてもらいます。」との連絡がありましたが、連絡はそれっきりでその後リアクションがありませんでした。しかし、それから6年ぐらい経ったある日、ビートたけし氏の事務所の方から「うちのビートたけしが、あだち菜うどん学会の会長やっているといことは事実ですか?」と連絡が入りました。こちらとしては寝耳に水で「なんのことですか?」と聞き返すと、ビートたけし氏本人が「俺は、あだち菜うどん学会の名誉会長をやっているとイベントやTV等でしゃべっているので、本当なのかと思いまして確認の連絡をしました。」との内容でした。突然のことで驚きましたが、事務所が変わってからご本人には伝わっていたそうで、何も言わず受け入れていただいたという面白いエピソードがあります。

【結果】子ども達から親御さんへ

あだち菜うどんは最初は生麵だったので、地元のうどん屋さんで使ってもらえるよう、一軒一軒交渉しましたが、緑色の麺なので他の麺に色が移ってしまうという商品に対することより作業に対する障壁がありました。そのような中、足立成和信用金庫さんが取引先のお客様に一生懸命交渉してくださり、実際にそこからお店で使ってくれる方が増えていきました。畑違いの金融機関の方が足を使って協力していただいたことが本当に嬉しかったと榎本理事長が仰っていました。NPO法人になる前は個人の名刺を使っていたので、単純に売り込みと思われたかもしれません。NPOを立ち上げてからは、国体の剣道柔道の選手及び関係者などへ同区のおもてなし料理としてふるまうなど、多くの場でお披露目をする事ができました。2014年には、日本全国から強豪の集まるうどん天下一決定戦に初出場しました。初陣ながらなんとか8位に入賞することができました。たくさんの方に食べていただき、感想を頂く中でこのうどんは「のびにくい」ことがわかり、学校給食でも使って頂けるようになりました。子ども達から認知度が高まりそこから親御さんへ広がっていきました。また、老人介護施設や病院にも鉄分が他より多いということで使って頂いています。料理学校からも注文があり、栄養面でも他より優れていることは数字を見ても立証されています。

【展望】これから日の丸を背負って欲しい

東京オリンピック・パラリンピックをきっかけにより羽ばたけるようなビジョンを描いていました。維持、継続も大変な中、モチベーションをキープするためにも、それには大きな目標が必要です。現状だと破棄する量が多く今一度、販路を広げていく必要があります。東京都や足立区からは応援し知恵を貸してくださっています。ひとつの大きな夢は、羽田や成田の空港の売店に置かせてもらって、東京あだち菜うどんを手に世界や全国に、旅立っていったら最高に嬉しいです。足立区で始めたことが東京になり、日本の日の丸を背負っていってくれたらという想いがあります。東京を代表する土産にしたいです。